アメリカ宗教事情

英語の記事を訳しています

アメリカはもはやキリスト教徒の国ではない

以下の日本語は、2016年10月23日にAtlanticに投稿された下記リンク記事の動画の日本語スクリプトです。

www.theatlantic.com

注目すべき真実があります。それは、

アメリカはもはや白人のキリスト教徒の国ではない。

ということ。

この事実は、今後深い意味を持ってくることでしょう。

 

1990年代のはじめには、どの宗教にも属していないと言っている人は10パーセントも満たしていませんでした。

しかし、今では約4分の1にあたる23パーセントの人が、自分はどの宗教にも属していないと言っています。65歳以上の約3分の2がキリスト教であると言っています。けれど年齢を少し下げて、最も若い35歳以下のグループを見るとキリスト教徒だと言っている人はたった20パーセントです。

最高裁ではプロテスタントの判事は0人。5人のカトリック教徒と4人のユダヤ教徒がいます。[2017年2月現在ではカトリック5人、ユダヤ教徒3人]

 

2012年のロムニーオバマの選挙は、いかに急速に白人キリスト教徒の影響力が低下しつつあるのかわかるとても良い例です。

ロムニーは実は福音派の票に関してはよくやったのです。彼はキャンペーンで訴えるべきグループからはちゃんと票を得ていたのです。もし同じような手法で彼が2004年に選挙をやっていたら、彼は勝っていたでしょう。

しかし、2004年と2012年の間に人種と宗教の情勢が大きく変わったので、勝利に必要な票を獲得することができなかったのです。

さて、2016年のドナルド・トランプも[2012年の選挙と]同じような状況を見ているといっていいでしょう。白人キリスト教徒の票数が十分にあってもなくても、共和党の代表は選挙に勝つために過半数の票を獲得できるというテストケースを見ていたのかもしれません。

 

一つの大事な問いは、アメリカ人になるとは何を意味するのか。アメリカのイメージとは何か、アメリカという言葉を聞いたときに人々の頭にはどのようなイメージが浮かぶのか。

多くの白人福音派の人々にとって、アメリカ人であるということは、ノーマン・ロックウェルが描くような、白人のプロテスタントの家族が感謝祭のテーブルの周りに集まるようなそういうイメージを思い浮かべるのでしょう。私にとってそれは、白人の保守的なキリスト教徒の価値観がアメリカを支配していた1950年代を想起させます。

それに対して、スーパーボールの合間に流れたコカ・コーラ―のCMでは、あらゆる種類の家族、黒人、白人、ラティーノ、アジア人、ムスリムがうつされました

[注2014年のCMのこと。CONTROVERSIAL: "America The Beautiful" Coca Cola 2014 Super Bowl Commercial | Political Topics - YouTube]。

このCMは批判の嵐や論争を引き起こしました。多くの保守系の白人キリスト教徒は、これは私たちが称えるアメリカのイメージでは全くない。むしろそのイメージから離れていっていると言ったのです。

自分がこれまでよく理解していると思っていた土地や国のイメージや所属感が失われいくと、人はこのように戦うのです。

 

さて、今私たちとまだ共にこの国にいる白人キリスト教徒の子孫について考えてみましょう。彼らの割合は45パーセントで、決して少ない数ではありません。彼らはこの先過半数になることはない中で、公共生活とどのように関わっていくのでしょうか。

一方ではラッセル・モーアのような南部キリスト教連合の指導者のようなリーダーたちがいて、彼はこうした変化に真剣に向き合おうとしていて、大統領のテーブルに席を持っていたとしても、全員について知っているようなふりをしないで、関わっていくやり方を模索しています。[ここ少し訳があやしいので、改善案あればよろしくお願いします。]

他方で、[こうしたキリスト教の影響力の低下に]抵抗する動きもあって、トランプを真摯に支持して、再びキリスト教の支配的な地位をアメリカの公共生活の中に取り戻そうとしている福音主義のリーダーたちもいます。しかし、それを叶えるに十分なキリスト教徒の数はいないのです。アメリカはもはや過半数が白人キリスト教徒の国ではなくなったのです。