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アメリカ宗教事情

英語の記事を訳しています

トランプ、最高裁、ゲイとレズビアンの権利について

本記事はGeoffrey R. Stoneが2017年2月8日に投稿した以下の英語記事の日本語訳です。

Trump, The Supreme Court, And The Rights Of Gays And Lesbians | The Huffington Post

アメリカの最高裁判所の判事に、Merrick Garland裁判長ではなくNeil Gorsuch判事が推薦され、またトランプ政権による新たな最高裁判事の推薦が考えられうる中で、西洋文化における同性愛の歴史と、その中で最高裁がアメリカの法律を方向付ける上で果たした極めて重要な役割について思い返すのは有益なことでしょう。明らかなことは、来るべきトランプの最高裁判事2人の任命によって、裁判所がゲイやレズビアンの権利に働きかける仕方が、今後大きく変わることが予想できるということです。

本題に入る前に、私たちがこれまでどのような道を歩んできたかを理解することが重要です。これを理解することによって、はじめて私たちはこの先に待ち受ける課題の大きさが分かるのです。

3回にわけて連載するうちの第1回にあたるこの記事では、簡単に古代から1950年代までの同性愛の歴史に触れます。3回分のすべての記事は、著者の新しい本、Sex and the Constitution によるものです。

 

キリスト教以前の世界では、セックスは人間の肯定的な本能の一部として捉えられていました。セックスを罪や宗教の問題と関係あるものとして見ていなかったのです。例えば古代ギリシャでは、性的な「罪」ではなく、個人の行動が他人を傷つけるのかどうかという点を見ていました。

これは同性愛にも言えることでした。同じ性によるセックスは古代ギリシャの性生活においては一般的なもので、ギリシャの詩、歴史、文学ではそういった関係を奨励し、愛や廉直さ、尊厳、名誉、勇気などと同一視していました。ローマの性生活はギリシャとは異なるものでしたが、ローマ人も同様に性の喜びを称え、ローマの宗教もローマの法律も同性によるセックスを叱責することはありませんでした。

 

しかし、キリスト教の誕生がセックスに関する既存の理解に大きな変化をもたらしました。5世紀の終わりまでに、キリスト教は性的な欲望は本質的な恥で抑圧すべき悪の誘惑だと糾弾しました。この変化は何世紀かにかけて起こりましたが、初期キリスト教における性の理解を明確なものにしたのはアウグスティヌスでした。重要な飛躍によって、アウグスティヌスは性的な欲望を人間の堕罪と結びつけました。アダムの罪というのは古代のヘブライ人が考えていたような不服従に関するものではなく、性的なものだと訴えたのです。

アウグスティヌスの考えは最終的にキリスト教の未来だけではなく、西洋の文化や法律一般の未来を方向付けました。その後数千年の間に、キリスト教の教義は宗教的な権威だけでなく、社会、政治、法的な権威を獲得したのです。聖書のソドムの話では、この特別な罪について、神が罪を犯した人だけでなく、それを防がなかった人々を罰することを教えていたため、「ソドミー」は他に類がないほどに恐ろしい罪だとみられるようになりました。[ソドムとは、性の乱れを罰するために神が空から硫黄と火をふらせ滅ぼされたとされる町。参考リンク:【セクシュアリティ】旧約聖書にみる同性愛禁忌(ソドムの町)と近親姦(ロトの娘たち)(三成美保) | 世界史Ⅰ | 比較ジェンダー史研究会]

しかしながら、同性間のセックスが罪だけでなく、犯罪であると初めて宣言されたのは13世紀になってからのことでした。この決定的な一歩によって、教会はついに世俗的な法律を用いて、キリスト教徒だけでなく、信仰に関係なく全ての人々へ同性間のセックスの禁止を広げたのでした。同性間のセックスを犯罪とする法律はヨーロッパ全土で制定され、またこの犯罪の憎むべき性質のために、これらの法は同性愛者の去勢、手足の切断、火あぶり、水攻め、絞首、石打ち、首切り、生き埋めなどの刑罰を定めました。つまり、同性愛者ははじめて組織的なプログラムによる根絶やしの対象となったのでした。

独立戦争までに、啓蒙の影響を受けたアメリカの植民地は、ほとんどの合意上のセックスを起訴する刑法を廃止しました。ただし、ソドミーという犯罪を除いて。加えて、法が施行されることはほとんどありませんでしたが、ソドミーはアメリカのすべての州においてその後200年にわたり重罪なままでした。

19世紀の後半になるまで、同性間のセックスを行うことを選ぶ人々は、他のタイプの犯罪の罪深い行為に関わることを選ぶその他の人々と、あまり変わらないと一般的に考えられていました。同性間のセックスは、強盗や殺人と同じく、単に選択であるとされていました。しかし、19世紀後半になり、医学的な権威がこの問題に関心を持つようになると、それまでの理解は疑問視されるようになるのです。

こうしてはじめて、同性間のセックスに惹かれる人というのは、特別な精神的なアイデンティティを持った人として見られるようになりました。「ホモセクシャル」という概念が初めて誕生したのもこの時代でした。19世紀後半の同性愛に関する主要な研究は、同性愛は病理で、この病理に苦しむ人は「異常な人」だと断定しました。

この時代の医師は、同性愛のための幅広い治療法を提示しました。その中には催眠療法や、精神分析、売春婦とのセックス、激しい自転車の使用、直腸のマッサージ、熱い鉄か薬品による首や背中の下部の皮膚を焼くこと、電気による刺激、去勢、クリトリスの切除などが含まれました。多くの医師は、次の世代へと遺伝することを防ぐために同性愛者を不妊にすることを勧めました。そして、1938年までに、32の州が同性愛者を不妊にすることを義務付けた法律を制定しました。

また1930年代には同性愛者のイメージはますます邪悪なものになっていきました。性の犯罪に対する高まる不安は、同性愛者の一般的なイメージを作り直しました。そのイメージとは、その他の同性愛者と不道徳なセックスを行うというだけでなく、口にするのも躊躇われるような最もひどい犯罪をおこす性質がある、危険なサイコパスというイメージでした。

変態だけでなく、自制のきかない児童性的虐待者だと悪者扱いされ、同性愛者は新しい「人類の敵」とされ、1930年代にソドミーによる逮捕数は劇的に増大しました。

第二次大戦の間、アメリカは初めて同性愛者の男性と女性が軍に入隊するのを防ごうとしました。そして、軍において同性愛者だと明らかになった人々は、軍の裁判により除隊となり、それはしばしば一生の恥として残りました。

冷戦の始まりとともに、事態はさらに悪くなりました。国内における転覆をおそれたアメリカ人は、同性愛者に対する報復行為へとむかいました。アメリカ人は共産主義無神論で、非キリスト教で、不道徳で、退廃していると見做していたので、「共産主義者と同性愛者[原文はqueer]」を一緒くたにすることは論理的なことに見えました。ある議員は1950年に次のように述べたほどです。「ロシア人は同性愛の強力な信奉者だ。」

1950年までに、いわゆる「ラベンダー・スケア」と呼ばれるようになったものが首尾よく始まりました。政府機関が組織で働いている人々が同性愛者かどうか見定めるために嘘発見器を使用し始め、FBIは同性愛の疑いがある人々のリストを作成し、アイゼンハワー大統領は「性の倒錯」は安全保障に関する深刻なものだと大統領令によって公式に発表しました。

主流な宗教が同性愛を忌まわしい罪だと激しく糾弾し、法律もまた同性愛は危険な犯罪だという汚名を着せ、医療の専門家も同性愛を病気だと診断するような社会の中で、同性愛の衝動を心に抱いた人々の大多数は、家族、友達、近所の人、雇用者、そして同僚から自分のひそかな恥を隠すために最善を尽くしました。発見されることに対するとてつもない恐怖は、ほとんどの同性愛者の隠された生き方を見えないものにし、それは同性愛者同士でもわからないものでした。

さらに、公民権運動も当時、ゲイやレズビアンに対し背を向けました。例えば、1957年に、the American Civil Liberties Unionの全国委員会は、「同性愛者を抑圧したり、根絶する法律の正当性を問うことは我々の管轄ではない」と宣言しました。そして、話は1960年代へと続くのです。